――――きっと、世界は滅びてしまったのだろう。



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唇にキミの名を





モノクロームの単調な視界に、ムクロはそう考える。
足元のアスファルトは醜くひび割れ、めくれ剥がれて。そこかしこに散らばる瓦礫の山に、鋼材はいびつに歪み、曲がって、原形をとどめていない。
視線を上へと向ければ、空には鈍色の雲が厚くたれこんで、かすかな光さえも落とさず、あたりは薄闇に包まれていた。
すぐ傍らを高層ビルがゆっくりと、あっけないほどに崩れ落ちていく。キラキラとガラスの破片が紙吹雪のように舞い落ちた。
――――無音の世界。
静寂が支配する白黒の世界に、彼一人が佇んでいた。
誰もいない。何もない。すべてが滅びた、この世界。
まともな神経をしているならば、泣き出し、叫び声をあげて、発狂するのだろうが。
生憎とムクロはそれほど殊勝な神経を持ち合わせていない。
うっとりと極上の笑みをうかべて、微笑んだ。

心はかつてないほどに、穏やかだ。
淡い微笑を浮かべて、ムクロは考える。
――――ああ、これで、やっと。すべての枷から解放された。
怨嗟の声も、蔑む視線も、むせかえる血の匂いも。
そして、淡い感情を疼かせるあの部下たちからも。
ここにあるのは、空虚だけ。
虚ろで無機質な、世界の残骸だ。
そこに一人佇んで、心の底から落ちついている自分がいる。
けれどその一方で、魂の奥底がざわめき―――騒ぐ。
ほんのわずかな、小指の先ほどにも満たない小さなカケラが、棘のように彼の胸に突き刺さる。チクチクとかすかな痛みが、この上なく不愉快だ。
ジリジリと身の内を熱が焦がして、彼をせき立てる。

――――何かが足りない。早く見つけろ、と。
ゆっくりとムクロは歩き出す。ビルの残骸を回り込み、瓦礫をよけ、あてもなく彷徨いながらも、彼は視線をめぐらせる。
けれど、それは見つからない。胸の奥に疼く痛みは消えない。
次第にその歩調は早くなり、とうとうムクロは駆けだした。
身を焦がす熱はより一層激しさを増して、ムクロを苛む。
――――何が不服なのか。何が足りないというのか。
腹立たしい。意思にさからう、こしゃくな感情にイライラと神経がささくれだつ。
やり場のない苛立ちに、力任せに三叉槍をアスファルトにぶつければ、地面が割れて火柱が出現した。
噴煙が空に舞い上がり、曇天はよりいっそう暗さをまして、世界が深い闇に沈みこむ。
――――これでいい。これでいいはずだ。
永遠の静寂。永遠の孤独。
それなのに、なんだというのか。
熱は消えない、疼きはひかない、渇きは癒えない、苛立ちも焦燥感も募るばかりだ。
ハラハラと舞い散る火の粉がムクロにも降りかかる。
闇の世界に踊る炎。目の覚めるような光が、ムクロをひきつける。
それは、何かを思い出す。
胸の奥底から得体の知れない感情がわき上がり、もどかしさにムクロは声をあげる。
―――――いったい何が不服なのか、言ってみるがいい!

その瞬間、彼の叫びに答えるように、突如雲間から一筋の光が射し込んだ。
まぶしさにムクロは思わず目を細める。
スポットライトが照らし出す、瓦礫の山に整えられた舞台。
光の中に浮かび上がるのは、細身の人影。
薄茶色の髪、白い肌、琥珀の眼をした、小柄な青年だ。
――――ドクン、と心臓が痙攣した。
それはまるで雷に打たれたよう。
喉がひきつり口腔は乾いて、声もでない。瞬きひとつ許されない。
呆然と佇むムクロの気配に、青年はゆっくりと振り返り。その眼にムクロを写した。
琥珀の瞳と、赤と青のオッドアイ。
視線が交わり、青年の口元に、やわらかい微笑が浮かぶ。
わけもなく体が震え、じわりと視界が熱に歪んで。
――――世界が鮮やかに目を覚ます。
ああ、とため息ともつかない声を吐き出して、ムクロは彼に歩み寄る。

この感情を何と言うのだろう。
『歓喜』、『希望』、それとも『祝福』だろうか?
身の内からわき上がる、溢れんばかりの想いとともに。
――――唇にキミの名を。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「というわけで、キミとボクは前世から赤い糸で結ばれているんですよ。これはもう結婚するしかないでしょう。さぁツナヨシくん、結婚しましょう。すぐしましょう」
突如、ボンゴレ本部ボス執務室に出現し、デスクに腰掛けてウキウキとそう宣言したムクロに、当のサワダツナヨシは、手元の書類から顔を上げると、寝不足で充血した目を向けて一言。
「土に還れ、この、電波パイナップルッ!!」

――――ボンゴレ屋敷は今日もにぎやかである。


END.