たとえ幾度、昼と夜が訪れようとも、
―――――決して忘れ得ぬ夜となるように。
10275
First Night
深夜。
ボンゴレファミリー本邸、その屋敷で静かに歩を進める人影があった。
雲間から差し込む月明かりに浮かび上がるのは、黒髪の長身。苛烈な光を宿した、真紅の双眸が闇に輝く。
訓練された身のこなしからは、ボンゴレ屋敷の厳重な警備態勢にも、いささかの怖れも気負いも感じられない。確かに最高精度を誇るセキュリティーであろうとも、彼の歩みを止めることは叶わないだろう。
男は悠然と中庭を横切り跳躍すると、静かに目的のバルコニーに降り立った。
そこはこの屋敷の最奥、ドン・ボンゴレの寝室である。
音もなく窓を開け放つと、易々と室内に侵入する。
夜風をうけて、かすかにカーテンが揺らいだ。
部屋の主はすでに就寝しているようで、天蓋に覆われた寝台からはスヤスヤと寝息がきこえてくる。気配を殺して寝台に近寄ると、彼はバサリと寝台を囲うカーテンを払いのけた。
月明かりにうっすらと照らされたその寝台には、
――――サワダツナヨシが静かに眠っていた。
男は寝台に腰掛け、そっとツナヨシを覗き込む。
これほど間近に侵入を許しながらも、いまだ睡眠を貪るマフィアのボス。チッと苛立ちまぎれの舌打ち。この呑気な女に思うところは多々あるものの、薄闇に浮かび上がる肌の白さが、彼の目に焼き付いた。
―――――ドクン、と心臓が跳ねあがる。
ジリジリと言い知れぬ何かが身の内を焦がして。
戯れに薄茶色の髪に指をからめるが、ツナヨシは一向に目を覚ます気配もない。男の手はそのまま、頬をなで、首筋、鎖骨へとすべっていく。その手つきは普段の彼からは想像もできないほど――――限りなく優しい。
まるで肌の下を流れる血を、鼓動さえも確かめるように、ゆっくりと男の手がすべりおちる。そうして、シャツのボタンに手をかけた時、ツナヨシがうっすらと目をあけた。
「ん・・・だれ?」
さすがに目を覚ましたのだろうが、彼女の意識は今もってまどろみの中らしく、その唇が紡ぐのはたどたどしい言葉。
「くすぐったい・・・」
夢うつつに体をひねり、ツナヨシは眠りを邪魔する無骨な手から身をよじる。
警戒心のカケラもないその仕草が、ますます身の内を焦がしていく。
「チッ、ドカスが」
プツリ、プツリと手荒にボタンをひきちぎりシャツの中へ手を進めれば、ツナヨシは外気にふるりと身を震わせた。なめらかな曲線に手を這わし、やわらかな肌にひとつ、ふたつ、咬み跡を残していく。次第にエスカレートするその行為に、さすがのツナヨシもハッと目を見開いた。
視界を覆う黒い影。淡い光に浮かび上がるのは、黒髪に特徴的な羽根飾り、褐色の肌に散らばる古傷、鍛え上げられたたくましい体。ようやく目を覚ましたツナヨシに、深紅の双眸が細められる。月明かりを背にうけて、男は――――ザンザスはにやりと笑みを浮かべた。
「ザンザス!」
「ふん、やっと目ぇ覚ましたか」
「何を・・・」
ぼんやりと視線をめぐらせれば、半ば引きちぎられたシャツ、露わになった白い肌、のしかかるように押さえこむザンザスの長身。
何をされているのか気付いた瞬間、怒りと羞恥心にツナヨシの頬が紅く染まる。
「離せ、ザンザス」
キッと睨み付ける琥珀の瞳にも、真紅の瞳は揺らぐことはなく。かえって挑戦的な視線は彼の欲を刺激する。抗議の視線をザンザスは鼻で笑い、彼女の肩を掴んで手荒に寝台に押しつけると、ねっとりと首筋に舌を這わせていく。
「っ、ザンザス。冗談はやめろ」
この期に及んでも甘いツナヨシに、ザンザスの怒りが振り切れる。
―――――何もかもが、ひどくもどかしい。
この女の、あきれるほどの無防備さも、無邪気な表情も、お人好しな甘さも、すべてが腹立たしく、怒りがこみ上げる。
ならば。それならば、壊してしまえばいいのだ。この女の何もかも、すべてを。
身の内に巣くう、黒い獣が雄叫びをあげた。
「るせぇ」
力任せにその細い首に噛みつけば、痛みにツナヨシが声をあげる。
「くっ!」
やわい肌を傷つけたのか、かすかな血の味がザンザスの口腔に広がった。
――――その血にザンザスの血が、騒ぐ。
ドクン、ドクンと鼓動が高鳴り、よりいっそう熱と炎が身を焦がして。
ジタバタと抵抗を続ける華奢な両腕を己の右手で拘束すると、残る片手でツナヨシの顎をつかんで、ザンザスはツナヨシに口づけた。
「んん!」
抗議にひらいた唇から熱い舌が侵入、ツナヨシのそれを絡め取る。
荒々しいキス。錆びた血の味に、くらりと眩暈がする。
やさしさも、甘さも、カケラもない。
息もつく間もない激しい口づけ。
瞬く間に息があがり、苦しさに思わずツナヨシの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「ん、あ・・・ザンザス」
頬を伝い流れおちる涙、その一滴に口づけるとザンザスはそのままツナヨシの耳元へ唇を寄せる。耳たぶを甘咬みすれば、ベッドに縫い付けられた痩身がビクリと跳ね上がった。
「やだ!」
拒絶の表情とは裏腹に、ツナヨシの体は敏感に反応する。
「なんだ、ここがイイのか?」
耳元で低く囁けば、ツナヨシはクッと唇をかみしめて声を殺す。ひそやかな、幼い反抗にザンザスは目を細めてクツクツと喉の奥で嗤う。さらにその手を下へと進めれば、ツナヨシがギュッと身をすくませた。
「あ?」
思わずツナヨシを見下ろせば、羞恥心に染まる頬、琥珀の瞳に揺れる『怖れ』に初めてなのだと直感する。
この肌に初めてふれる男が自分である。その事実に魂が震える。
夜にうかびあがる白い体はほんのりと紅く色付き、睨み付ける琥珀の瞳は熱と怯えに潤んで―――――何もかもがひどく艶めかしい。
彼の耳元をくすぐる吐息は目眩がするほど甘く。
声を殺したかすかな喘ぎが、さらにザンザスを刺激する。
なめらかな曲線を撫で上げ、胸元から腹部へ口づけを降らせれば、こらえきれずツナヨシが声をもらした。
「っ、ザンザス・・・なんで・・・」
怯えのにじむその声に彼は顔をあげ、ツナヨシの瞳を覗きこむ。
琥珀の瞳に写るは、黒い獣。
熱と炎にその身を焦がし、それでも求め続ける愚かな獣だ。
唇を歪めてザンザスは不敵に嗤う。
「さあな」
身の内の熱を微塵とも見せないよう。
猛々しく荒れ狂う魂を。ほとばしる熱さを。
コイツが欠片も感じ取れぬよう。
酷薄に嗜虐的に。いつものように、気まぐれなのだと。
ただこの体に自分を刻み込む。それだけだ。
この先、幾度の昼と夜が訪れようとも、ツナヨシが決して忘れ得ぬ夜となるように。
百年後もその身に残る――――傷であればそれでいい。
END.